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娘が生まれて大感動した、とある秋の話。

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こんにちは、ゆとりばてぃです。

すでにSNSでは投稿しているお話ですが、

2021年9月末……待ちに待っていた第一子が無事に誕生してくれました!!!

というわけで、このページでは娘の誕生特集ページとして、「親になる」というこの人生の一大転機に感じたことを記しておきます。なんというか、あまりにも心の動きが大きくて言葉で綴るのが特にめちゃくちゃ難しい経験なわけですが、たとえ不器用な感じになっても、後になってからこの思いを辿れるような何かを残せたら良いなと思います。

え、、、
でも本当は生まれる前から親なのかな??
だとしたらいつから親だった??
娘が生まれるこの結果に至るための原因って意味では親である自分が生まれた時点??
いやでもそうすると、さらに遡って自分の親??人類??地球??宇宙??
いやちょっとこれは文系思考すぎる??
本当の親というのはただの血のつながりの関係を言うんじゃない的な話もあるかな??
その場合はなにが親を決定づける??
これはドラマとか映画とかの見すぎ??

とかいう疑問たちが湧いてこないこともないですが、まぁひとまずそのあたりは慌てて安直な答えを出す問題でもないので「一生かけて大事に考えましょう」というカッコつけた取り扱いにしておきます。なんかダジャレみたいになりますが、哲学で言うまさに「括弧に入れる」っていう感じですね。

もうこれ以上余計なことを書き続けると娘が成人してもまだ書き終わらなくなっちゃうので、とにかく「娘の誕生を通して親になった!!」という実感に沿って思ったことをまとめておきます。

目次

生まれ落ちてきた娘

今回の娘の誕生に際して、私はFaceTimeを使ってアメリカからリモートで立ち会いをしました。

  • そもそもコロナ禍で病院が立ち会いを許可していない
  • 予定日が10月頭で秋学期(対面授業)の真っ最中
  • 日米往復には時間と費用が大きくかかる
  • 自主隔離中に産まれちゃったら切ない

など、もろもろの状況と可能性を妻と一緒に吟味して、リモート立ち会いで臨むという決定へと至りました。要するにハーフ立ち会いみたいな感じになっちゃったわけですが、逆に珍しい経験をさせてもらえたのは確かかもしれないですね。

まずは「リモートであっても立ち会えた」というふうにポジティブにいえば、やっぱり子どもが産まれたという事実のありがたみと重みを強く感じられる瞬間を味わえたなと思います。これはリモートだとしてもゆらぎません。

娘が産まれたまさにその瞬間の光景は今も鮮明に思い出すことができますし、きっと脳裏に焼き付いていて一生忘れることはないでしょう。0.5秒とかそれぐらいでしょうか、1秒にも満たない瞬間です。

なんかただ単に「産まれた」とか「生をうけた」とかの言い方では足りないぐらいで、ほんとに「この世に産み落とされた」っていう表現がすっごくぴったりな感じでした笑。

先生?助産師さん?に抱き“上げ”られているんじゃないんですよね。10ヶ月もの間、お腹の中で準備をして、そしてついに母と一緒に苦しみつつも産道を通り抜けて、ほんとうにやっと産まれ出たものの、まだ落ち付くあてのない空間――その空間の中で泣きながら大人に抱き“留め”てもらっている。いや、めっちゃ説明がむずいんですが、そんな状態だったんです。

すっごく正直にいうなら、この瞬間は嬉しさよりも責任というか覚悟というかそういう意識のほうが圧倒的に強く心に刻まれた気がします。

赤ちゃん本人にはある意味、われわれが選択肢と呼ぶような産まれる・産まれないの選びがないわけで、あの一瞬はまさに親にとってのそのことの重大性が突きつけられた瞬間だった気がします。落としたら地面を突き破ってブラジル到達するぐらいの重み。ちなみに今住んでいる場所の地球の裏側を計算してみたら、思いっきりインド洋の上でした。なますて。

感極まる母と父

そして、1秒後ぐらいには嬉しさが一気にこみ上げます。今度は抱き“上げ”られて、ベッドへ寝かせてもらう娘。そして感極まって笑顔で涙を流す妻。あーもう、今これを書いているだけでも目に涙が浮かびます笑。

まぁぶっちゃけ私はそのとき泣かなかったのですが、もうほんと泣く寸前ではありました。これまでの人生でポジティブな感情からここまでこみ上げたのは、このときと、結婚披露宴での義父から「よろしく頼むよ」のハグをしてもらったときの2回だけです(大学合格発表のときには嬉し涙が出るかと高校生のときには期待していたのですが、涙目にすらなりませんでした笑)。

やっぱこう考えると「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」っていうゼクシィのキャッチコピー、すごすぎます。飲んだことないですが養命酒よりも五臓六腑に染みわたります。

「子どもをもたない幸せも尊重されるこの時代に、私たちは、あなたをずっと心から待っていましたよ」って気持ち。

あと立ち会ったことで改めて感じたのは、ほんと出産って凄まじい仕事なんだなということです。出産と聞くと、鼻からスイカが出るその場面を想像しがちですが、実はその数時間~十数時間前からやってくる陣痛の痛み、そしてストレス・分娩台に上がってからもじりじりと強くなって続いていく痛みと不安もそこにはあったんですね。

分娩台に上がってからFaceTimeを繋いだのですが、それでも産まれるまでiPadに1時間ぐらい張り付いたままでした(ラッキーなことに、かなり早い方だったようです)。出産当日までの苦労は言うまでもありませんが、たった一日の誕生日の中でさえ、あんなにも幅と奥行きをもった瞬間が連続していたなんて。これを具体的に知ることができたのは、まぎれもなく立ち会ったからこそです。

夫の立場としては立ち会いで何もできることがなくて無力さを感じたというエピソードも聞いたりしますが、幸か不幸か、傲慢か謙虚か、無責任か割り切りか、私のなかでは応援と感謝の感情が押し切ってくれました。リモートじゃなかったら違ってたかもですが笑。

あと、出産のド派手な場面と比べて地味なので忘れられがちですが、お風呂に浸かれなかったり、トイレのときに注意を払わなきゃいけなかったり、関節痛とかを始めとして身体の不調が続いたり――産後も子育てそのものとは別の諸苦労がしばらくつきまとうようです。すごいわ、ほんと。

ともかく、リモートという形であっても立ち会いという形がとれたのはすごく幸運でした。もし今後、子どもが産まれる・立ち会うかどうかを選択できるという幸運にめぐまれた状況に置かれるとしたら、迷わず立ち会うことを希望すると思います。

リモートと存在の不思議

まぁそんな感じで、立ち会いできたのは個人的にすごく素晴らしい経験だったのですが、そうはいってもリモートならではの不便もいくつか感じました。

  • 画面の外側が見えなくてもどかしい
  • 音声が聞こえにくくてもどかしい
  • 接続がちょいちょい不安定になるのがもどかしい
  • 妻にも子どもにも触れられなくて寂しい

基本的に「もどかしい」って話になるんですが、とにかくその場で起きていることの全体が把握しにくかったです。嗅覚・触覚がないことはもちろん、切り取られた一部の視覚と聴覚情報しか入ってこないうえ、さらには分娩室の反響とお互いの部屋の不安定な回線のせいで、音質と画質は微妙…。

一体どれぐらいのスタッフが関わってくれているのか・どんな指示が飛び交っているのか・誰が誰に向かって話しているのか・聞こえてくる電子音はなんの機器の音なのか・妻は無事なのか・娘は無事なのか。その場にいたらすぐに確認できそうなことが不明瞭なままだったので、常にうっすらと不安がたちこめる時間でした。

なんか娘が産まれてから20分ぐらい「ポ・ポ・ポ・チーン」って鳴リ続けていて、一休さん産まれたんかと思いました。

それと、産まれるまさにその瞬間に接続が悪くなったりしたらとか、向こうのiPadの電池が切れたらとか、そんな不安も地味にありましたね。

あとやっぱ、一大事を乗り越えた妻と娘に触れながらねぎらいと感謝を伝えられない寂しさはありました。ひとが存在を感じるには、触覚が五感の中でも特に決定的なんだなぁと改めて思いました。

存在関連でいうと、娘の爆誕を通じてもうめちゃくちゃ不思議に感じたことがあります。それは、どんなひとでもみんな赤ちゃんだったってこと。

まぁめっちゃ当たり前のことなんですけど笑。どんだけ人相と心が曲がりまくっている政治家も、どんだけ凶悪な行いをしてしまう犯罪者も、どんだけ自暴自棄になっているひとも、どんだけ意地悪してきたあのクラスメイトも、たった一人の例外もなくみんなこうだったんですよね。

尊すぎる!!!

もうほんと生き物って存在そのものとして尊いんだなって心から思えます。赤ちゃんって水分を一滴摂るにも、誰かにやってもらわないといけない生活スタイルなわけですよね。世話に囲まれた暮らし的な。

まぁ大人だって蛇口ひねって水飲めるのは他の誰かのおかげなんですけど、ひとまずそれは置いておくとして、赤ちゃんって誰かの役に立つとか自分にとって都合が良いとか、そういう次元を飛び越えてるようなんです、どうやら。能力も財力も権力も関係なく、ただ「いる」ってだけですごく大事なことなんだなって心の底から思わせてくれます。

ただ、悲しいことに、赤ちゃんじゃない他人にはその尊さを見いだせなくなって平気で悪口とか言っちゃったりするんですよね。他人に優しくしましょうとかいう道徳の話じゃなくて(それができるに越したことはないけど)、いったいどういう仕組みでこんなにも簡単に他人に攻撃的な思いを抱くようになっちゃうのかっていう人間の存在の不思議を身をもって感じました。


とまぁ小難しいこと考えてるぶった話は置いといて、とにかく無事に産んでくれた・生まれてくれたというその事実だけでものすっっっっっっっごく感激した娘の誕生の話でした!!!!

きっと時が経つにつれ、このことのありがたみを忘れてどんどん色んなことをあれもこれもと求めちゃうのでしょうが、節目節目でこのときの気持ちをすなおに思い出せたら良いなと思いますし、そのためのきっかけとしてこのブログが役割を果たしてくれたら良いなとも思います。

っていうこの気持ちをまるごと忘れそうだけど笑。大事なことをメモしておいて、そのメモのことをまるごと忘れちゃったなんてどれだけ日常茶飯事なことか。まじで記憶力もうちょい欲しかったです。

いやー、にしても愛おしすぎてやばいですね。目に入れたら絶対に激痛ですけど、というかそもそも入るわけないですけど、めっちゃ良い例えだなと思います。あまりにも的を射すぎていて矢が足りなくなるんじゃいかと心配しちゃうぐらいです。

では、また!

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このブログ書いてるひと

ゆとり世代の文系大学院生です。アメリカに学位留学中。インスタ・ツイッターでは当ブログへのご質問やご感想を募集中です。ちょっとしたものでも新しいページ作成の励みになりますので、お気軽にコメントやリクエストいただければ嬉しいです!

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